体験談15
(男性 42歳)
大学生だった頃、お金がなく、食費を節制していました。
食品のロスをできるだけ少なくするため、冷蔵庫にはあまり物を詰め込まず、毎晩、質素なご飯を作っていました。
そんなある日、急に熱が出てしまい、家から出られないくらい、体調が悪くなりました。
近くのスーパーやコンビニに買い物に行く気力もなく、お金もない状態で、家の中を見たら、お米もないことに気づきました。
致し方なく、家にある塩をなめ、体調が戻るまで、過ごしました。
健康が一番ですが、ご飯もお金もない貧乏な学生生活がもっとも辛いと感じたエピソードです。
体験談16
(女性 49歳)
大学を中退し、専門学校に行った息子。
この息子になけなしの貯金全てをつかった。
ある日使った覚えのないカードの請求がきた。
キャッシングとショッピングのワクいっぱいの利用で。
問い合わせると息子が使った様子。
本人に問いただしたら勝手に私の財布から持ち出してキャッシングし。
ショッピングはパソコンに番号を入力し、暗証番号は前に一度教えたのを覚えていたと。
その後もう1社からも同じ請求が私宛にきた。
奨学金がいつまでも入金されなかった。
息子聞くと手続きに戸惑ったからおくれてると。
それでもおかしいとおもい問いただすと。
勝手に名義変更して全額使ってしまったと。
専門学校を辞めさせたが働きもせずその後電話会社から40万の請求もきた。
かんたん決済で使ったと。
私名義の電話。
今は毎月の返済の事で悩み過ぎて食べ物が飲み込めなくなり。
舌がしびれる舌痛症で苦しんでいる。
体験談17
(男性 50歳)
商売の営業妨害の後は、就職先も阻止をされ完全に兵糧攻め状態に遭っての中での生活です。
何とかやりくりを考えながら生活をしようとした中で、エアコンと冷蔵庫が故障しました。
熱中症にならないために身体をスーパーの氷で冷やし、冬は布団乾燥機を掛けて温めて寝るなどといった工夫を重ねました。
収入が極端に減ったので外食も外飲みも一切禁止、多くの友人との交友関係もぱったり切れました。
金銭面では貧乏になりましたが、意地悪をし続けて生活の妨害をする周りの人たちの様に心は貧しくならないでおこうと頑張り灯りが見えてきました。
ほんとう食事も質素で、一時期は辛いというよりもその感情さえも沸かないほどでした。
体験談18
(女性 51歳)
17歳の頃、家が貧乏で高校の授業料を自分で働いたアルバイト代で払っていたのですが、教室の鞄の中に入れていた筈の授業料が盗まれてしまいました。
次のバイト代で払おうと未納のまま3週間が経った頃、自宅に担任の先生から電話がかかってきて、「授業料を使ってしまったのなら、正直にご両親に話なさい。」と諭されました。
普段から家が貧乏だと悟られないように気を付けている上、アルバイトは禁止。
学校で盗まれた事を話そうかと思いましたが、話したとしても両親に説明を促されるだけ。
必死で生きてるのに。
とても理不尽でやりきれない思い出です。
体験談19
(男性 51歳)
私が大学受験の二浪の頃の話です。
一浪目は下宿で共同生活して、食事の不味さと部屋に人が来て勉強出来ないので一人暮らしで二浪しました。
当時仕送りは7万円貰っていましたが、予備校の講習代とかに消えて行って、ご飯と10円の味噌汁と牛乳と卵と野菜炒めだけの自炊で北海道大学を目指して…というより二浪でしたのでもう合格して当然というプレッシャーの中生活していました。
良い授業はどうしても受けたかったので、講習代がかさみ食事代もギリギリで、外食などは出来ませんでした。
そして一人、友達も居ない、勉強は一日10時間を目標に頑張りました。
ちゃんと色んなモノを食べなかったからか、あまり頭も冴えませんでした。
でも無事合格。
しかし、過度の緊張な一年のため神経がやられていました。
うつ病を発病したのです。
お金がない辛さと勉強をしなきゃいけない辛さとたった一人で生きた孤独と…今考えても人生で最も辛い一年でした。
うつ病で障害者となった今でも、あの貧乏さと辛さは忘れられません。
体験談20
(男性 62歳)
いつも貧乏なのですが、バラ色の年金生活のはずが、夢の世界でした。
生活保護よりもお金がありません、生活保護の人の方が良い生活をしているようです。
そんな私に、娘の為に、携帯代の支払いの催促が来ました、私の生活費を切り詰めて貯めたお金から支払い、娘からは、中々振り込まれません、これから来る寒い冬の為の灯油代です。
灯油が無いと凍死してしまいます。
お米は友達が届けてくれるので有りますが、おかずも必要です。
田舎に住んでいると野菜をいただくこともあります。貴重な食材です。
それを期待しながらなんとか生活しています。
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